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戦略的に生み出す「つながり」

戦略的に生み出す「つながり」

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ひきこもり状態の人が起こした由々しい事件の連続を契機として、
「孤立を防ぐ」や「孤独の解消」という言葉がマスメディアに頻繁に出現するようになっています。

ただ、孤立や孤独が社会問題として論じられていたのは、
実は、けっこう以前からで、歴史をひも解いてみると、
社会的つながりの不足に起因する専業主婦の孤独感、
そこから派生する無力感、生きがいを求めてのさまざまな足掻き、
などが頻繁に取り上げられていたように思います。

その先鞭をつけたのは、
1963年に出版されたベティ・フリーダンの「新しい女性の創造」
(原題:The Feminine Mystique)でしょう。
教育も才能もある物質的に恵まれたアメリカの中産階級の主婦の多くが、
実は日々の虚しさを訴えている、ということを暴露し、
センセーションを巻き起こして、世界的ベストセラーになりました。

「夫や子供や家の他に、私はもっと何か欲しい」という女性の心の中の叫び声を、
綿密な取材を通して描き切ったエポックメイキング的作品と言えます。

そして、本書は、1960年代後半にアメリカで起こり、
その後、世界中に広がったウーマンリブ運動(Women’sLiberation Movement)の起爆剤になったと言われています。

ただ、ベティ・フリーダンが提起したこの問題も、
更にずっと以前から、小説や映画・評論などで取り沙汰されており、
その代表格としては、フランスの作家フローベル著「ボヴァリー夫人」(1856年刊行)などがあります。

田舎医者のボヴァリーの妻が、二人の男と次々に情事を持ち、
借財に追い詰められて服毒自殺をした、というストーリーですが、
主婦の陥る孤独や倦怠・焦燥が生々しく写実されています。

一部、引用してみましょう。
 
 
「ほんとにもう、百姓たちはかわいそうなものじゃ」(坊さん)
「ほかにも、かわいそうな人間がいます」とエマは答えた。
「それはそうだ。たとえば街の職人」(坊さん)
「そういう人のことじゃありません......」
「まあ、お聞きなさい。ああいうところには、
 子供を抱えた気の毒な母親、身持ちもいい女で、全く心の正しい女でな、
 そういう人でもパンに事欠いているのが居る」(坊さん)
「でも......」とエマは言い返した。
(彼女の口もとは話しながらひきつれていた)
「パンに事欠かなくても、それでもなにか.....、無い人間が.....」
「冬に薪がないというような」と坊さん。
「だって、そんなもの......」(エマ)
「なんですって! そんなものだって! このわしには、
人間ちゃんと寒さがしのげて、飯がちゃんと食えていたら......」(坊さん)
「ああ、ああ!」彼女はため息をついた。

坊さんとエマの心理的チグハグさが浮き彫りにされている会話です。

また、1990年代だったと記憶していますが、日本でも、
「カルチャーセンター(カルセン)に押し寄せる主婦難民」という新聞記事が話題になったことがあります。

良妻賢母を目指し、家事と育児に全力を挙げてきた主婦のかたがたが、
子供に手がかからなくなった頃から、空きの巣症候群に見舞われて、
自分探しに、カルチャーセンターに押し寄せる、という現象ですね。

このような主婦の「空きの巣症候群」は、看過できない重要な問題であるとの
認識が社会に浸透し、女性の社会進出が始まったわけです。

それから、幾星霜。

女性の首相や大手企業社長・管理職なども、全く珍しくない時代に入っています。

すでに、1979年には、マーガレット・サッチャーが
英国初の女性首相に就任していますし....。

東大名誉教授で社会学者の上野千鶴子氏が東大入学式の祝辞で、
「性差別」が、時の流れと共に変化してきたにもかかわらず、
21世紀の現代でも、まだ、温存されている、と述べて広く反響を呼びましたが、
しかし、2019年の現在では、いささか古めかしく感じられる提言だったように思います。

しかし、もともとは、女性の生き方問題から始まった「社会的つながり」の必要性が、
いま現在は、「ひきこもり」の人々や孤独な独居老人を救うべき手段と見做され始めている、
という世相の移り変わりには、私、驚きを禁じ得ないですね。

つまり、社会的つながりの不足に起因する「孤立」「孤独感」「断絶感」から
さまざまな問題点が噴出している、とする考えが広まってきています。

それらを解決するためには、戦略的につながりを生み出すことを
社会全体が考えなければいけない、という風潮になっています。

「つながりを、戦略的に生み出す時代」への転換期にきているのかもしれません。

昨年、英国で起案された「孤独大臣」は、先見の明があったというべきでしょうか。

ここで、つい、思い出してしまうのは、
「世界の冨の半分を所有する男」という盛名を欲しいままにした
アメリカの大富豪Haward Hughes(1905 – 1976)の生涯です。

父親の遺産を相続したとはいえ、若くしてハリウッドに
打って出て、壮大なスケールの航空アクション映画を製作し、みごとアカデミー賞を獲得。
ハワード24才の快挙でした。

次いで、パイロットとして、ハワードの快進撃が続きます。
アメリカ大陸横断飛行をはじめ、太平洋岸縦断飛行のレコードを破り、
33才にして、世界一周飛行のスピード記録を打ち立てるなど、当時の航空界のヒーローとして大活躍。

「ゲーリー・クーパーのような外見を持ち、リンドバーグのように空を飛ぶ青年」
とマスコミに絶賛され、アメリカの新しい若き英雄として一般大衆を熱狂させました。

さらに、ハワードは、航空界の実業家として、大手航空会社TWAのオーナーであり、
超一流の飛行機設計家でもありました。
また、世界有数の頭脳と設備を誇る電子工業会社を興したことでも有名です。

このような、目も眩むような華麗な人生の後半は、しかし、深い闇に包まれています。

幼少の頃から、その萌芽があった脅迫神経症(Obsessive Compulsive Disorder :OCD)が悪化し、
誰かが自分の後をつけ回していると思い込んだり、細菌を極度に恐れたり。

52才で結婚はしたものの、脅迫神経症に取りつかれた身では
誰かと共に普通の生活を送ることが不可能になっていたのです。

一緒に暮らすどころか、新妻でさえ、ハワードの姿を見ることすらできないほどだった。
 
 
「高級ホテルの一室に引きこもっている変人の大富豪」、
「偏執症で狂人の億万長者」、
 
 
これが、かつて、アメリカの若き英雄として、国民を熱狂させたハワードの晩年の姿でした。

つまり、ここでも、人間の「孤独」という問題が浮かび上がってきます。

例えば、一人の女性と長い時間をかけて愛を育み、
良好で堅固な関係を保ち続けられたなら、
その「つながり」に守られ、本当に支えてくれる人がいると感じつつ、
ハワードの脅迫神経症もここまで、重症化はしなかったかもしれません。

しかし、ハリウッドで大成功を収め、多くの人気女優と浮名を流して、
そのプレイボーイぶりで、「ハリウッドのカサノヴァ」と呼ばれるようになったハワードは、
根気強く、時間をかけて特定の女性と愛を育むという地道な努力の時を刻むことができなかった。

1976年、アカプルコの高級ホテルの一室で、容態が突然、急変し、
昏睡状態に陥って3日後、ヒューストンの病院に運ばれる飛行機の中でハワードは息を引き取りました。

享年70才。

それから43年が経過した21世紀のいま、
「つながりを戦略的に生み出す時代」への転換期に在って、
人とのつながり、身体的・精神的健康への影響、人間の幸せなどを深く考えるヒントが
ハワード・ヒューズの人生にはたっぷりと内包されているような気がしてなりません。

ところで、ここで、閑話休題。
私の最近の動きに関してですが、
私自身は、「社会的つながり」の一案として、マイオ―ダンスというエクササイズ兼ダンスの概念を考案し、
現在、その普及に向けて、鋭意、仕組みの整備中ではありますが、
最近、身体不活動が世界的に大きな経済負荷を招いている、とする論文を目にしました。

身体不活動が招いている慢性疾患の拡大による医療費用や生産性損失について論じています。

これは、まさしく、さもありなん、と思われる論旨で、
近いうちに、この件について、詳しく言及してみるつもりです。